労働に対する報酬は労働の「対価」ではない


労働価値説が社畜をつくる。
どうもmican(@kata_mican)と申す。

お金は働かない

「お金に働いてもらう」という表現がある。
とてもわかりやすくて魅力的で、投資の入り口に人々を導くのにぴったりの言葉だ。

だけど、これは嘘も方便というやつだ。
お金は働かない。

働くのは人である。

お金は働かない。

お金を使って、何かに働かせるのである。
人や機械を雇い、それらを守るためにお金は使われる。
その結果として経営者と資本家が利益を得る。

先に資本を投下し、後に利益を得るのである。
この順番は逆にはならない。

労働者の側から見れば、先に報酬をもらい(あるいは確約され)、後に労働を提供するのである。

利益は再投資として労働者に向けられることもあるが、それは頑張ったことに対する「ご褒美」ではなく、あくまでも「投資」である。
賃金が上がっていたら、それは「よくやった」と褒められたのではなく、「これからも頼むよ」と投資されたのだ。

労働の報酬とは労働の対価ではなく資本投下である

とはいえ「期待」は重い

労働を提供する前に報酬を出される(確約される)ことから、労働者は経営者に「借りがある」と見ることもできる。

すると労働者はその借りを返すために働くことになるけれど
「どこまで働いたら借りを返したことになるのか?」

これがはっきりしない。

労働者は疑心暗鬼の中におかれて、考えうる最大のものを投じなければ返せないのではないかとさえ考えてしまう。
経営者はあえて条件を曖昧にすることで圧倒的優位に立てるのだ。
労働者側に見えないコストがあると仄めかすことができれば最高だ。

でも、実は貸し借りの問題ではまったくないのだ。
報酬は投資であって、融資(コストの先払い)ではない。
リターンを気にするのは投資家の勝手である。

再投資を引き出す必要がなくなれば、いつだってやめていい

労働者は常に次の再投資を引き出すことだけを考えて動けばいい。
逆に再投資を引き出す必要がないのであればいつだってやめられる。

借りがあるなどとは一切考えなくていい。
それでは困ると会社がいうのなら、業務内容をきっちり定めた上で時間給日払いで雇いなさい、ということだ。

「信用」も大事に

かくいうmicanもまだ仕事は辞められない。
辞めて再就職を目指すにしても、あまりにもいい加減な人間だと思われたら新たな投資を引き出すのに著しく不利になる。

そのあたりのバランスを取りながらゆっくりとじぶんベーシックインカムを形成して、いつか高給で働けるようスキルも磨いておきたいものだ。

mican


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